インプットとアウトプット

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インプットしなければ、アウトプットできない。

最近、自分の語彙力が衰えてきたのではと危機感を抱き、今日は書店に行って興味のある本を片っ端から読み漁ってきた。

まずは、雑誌コーナー。個人的にまず手が伸びる雑誌は、表紙が外国人女性のもの。

とにかく、端正な顔立ちをしている。目鼻立ちが整っているので、見ていて気分がいい。

ページを捲ると、自分の中に外国の風が入ってくるようで、心地がいい。

きっと、そこに写っているモデルの華やかさに惹かれるのだろう。

海外には昔から興味を持っていて、小さい頃からなんとなくどこか遠い所へ行きたいと思っていた。

そして、実際に海外へ行ってみると、思っていた以上の開放感。何か背負っていた重たい空気から解き放たれたような、酸素がない水の中から顔を出したときに息を吸えたような、そんな感覚だった。

その海外旅行での体験が影響しているのか、美しい外国のモデル達を眺めていると、そんな感覚が蘇ってくる。

それらの雑誌は、ファッションの参考にもなるし、気分をリフレッシュさせるのに丁度いいので、大概は手始めに店頭の雑誌を立ち読みする。

時間に余裕があるときには、その後に一通り店内をまわって、興味を引く本を飛ばし読みしていく。基本的にジャンルは問わない。私の場合、広く浅い。

だが、時間に制限があるときや気分によっては、1つのジャンルを特定してその本棚に突進していく。そして、その時に必要とする情報が載っている必要な箇所(ページ)だけを読む。

短時間で必要な情報を得るために、集中力を上げ、頭をフル回転してインプットする。

一度読んだだけで印象に残るものは、そのまま記憶されるが、そういうものはごく僅かだ。私自身の物覚えが悪いということもあるが、何度も繰り返し読むことによって、その記憶が定着していく。

どうしても図書館や書店に行きたくなる衝動に駆られるときは、自分の中にある情報源が枯渇してきた合図だ。

勿論、インターネットの世界ではある程度のことなら調べられるし、必要な時に必要な情報を得られる。それもインプットする情報源の1つではあるのだが、『本を読む』のとは何かが違う。

どれだけインターネットで調べても、自分の中に焦燥感のようなものが溜まっていくときがある。そういうときこそ、読書が必要なのだ。知らず知らずのうちに、脳が読書を求めている。

例えば、「最近、家の中が汚いな。掃除しないといけないが、する気が起きない」というときには、掃除をしたくなるような「掃除をしたら、こんなにいいことがある」という情報を本から得ようとする。

実際、インプットした知識が、「掃除がしたい」という思いに変化し、最後に行動としてアウトプットされるのだ。

結果、それで家の中が綺麗になり、気分スッキリ、居心地抜群になる。

また、このように文章を書くにあたっても、「何か足りないな。もっと引き出しがほしい」と感じれば、これも読書をしたり、辞書を開いたりして、インプットする必要がある。

その結果、語彙力が増したり、必要な知識が増えるので、知的要求が満たされて満足する。

そして、それはつまり、アウトプットの為の引き出しが増えることになるのだ。

喉が渇けば水を飲む。お腹が空けば食べ物を食べる。

それらと同じように、アウトプットの為には、インプットが必要なのだ。

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