今は亡きおじいちゃんの家を時々思い出す。
私は初孫ということもあって、おじいちゃんによく可愛がってもらった。
故に、幼い頃からおじいちゃん子だった。
私は、おじいちゃんとおじいちゃんの家が大好きだった。
今は誰かの住宅地になってしまったが、その家の端々が記憶に残っている。
畳があって、縁側があって。
子供の頃、上の乳歯が抜けたらおじいちゃんの家の縁の下へ投げ入れた。
下の乳歯が抜けたら、おじいちゃんの家の屋根の上へ放った。
上の歯は下へ向かってちゃんと生えるように、下の歯は上へ向かってちゃんと生えるように。
そのおかげか、新しく生え変わった私の歯並びは、ばっちり整った。
冬にはこたつがあって、おじいちゃんの膝の上に乗りながら一緒にこたつに入ってTVを観ていた。おじいちゃんが好きな相撲を観ることが多かった。
柱時計がカチカチと絶え間なく振り子を揺らしていたので、しんとした家の中ではちょっと怖かった。
そして、石油ストーブ独特の匂い。
台所にはいつも、おばあちゃんがどくだみを煎じた匂いが残っていた。
また、冬は特にお風呂場付近が寒かった。
洋間には、箱型ピアノとグランドピアノがあった。
私の叔母が幼少からピアノを習っていたから、その時のピアノがそのまま残っていた。
私はピアノを習っていなかったので、弾きたいけれど弾けなかった。
ただ、音を出すのが楽しかった。
冬から春にかけて、柔らかな陽光が窓ガラスや襖から透けて床や畳に映り、暖かくて落ち着いた。
爪を切るときは、縁側の廊下で。
そこには、鳥籠に入った1羽のインコがいた。
私の為に作ってくれたのかはわからないが、私が物心ついたときから、縁側と庭の間の砂利の歩道端に、小さな長方形の砂場があった。そこで遊ぶのが好きだった。
庭の木々は、おじいちゃんが手入れをしていたようだった。
時々、親戚の植木職人のおじさんが手伝いに来てくれていた。
木々の間に幾つか小道があって、そこを探索するのが楽しかった。
自転車1~2台が入る倉庫は、木の板で全て手作りのようだった。
また、別に農作業の道具などが入っている倉庫もあったが、それも板でできており、おそらく手作りだ。そこには、鍬やら籠やら、剪定鋏やら、色々なものが置いてあった。
玄関の正面には、大きな1枚板でできた木のオブジェがあり、光沢のある木目が美しかった。その足元には、熊の毛皮が玄関マットになっていた。
外玄関から家の玄関までは砂利道になっており、足を進める位置には大きめの平らな石が蛇行して敷いてあった。
やがて、おじいちゃんが亡くなると、その家は敷地が広かったため相続の税金が払いきれず、やむなく国に売られ、売地としてどこかの誰かに買われていった。
大好きだったおじいちゃんの家。
家や敷地はなくなったけれど、元の姿に戻ることはないけれど、私の記憶の中には、確かに優しい大好きなおじいちゃんと、大好きなおじいちゃんの家が、今も息づいている。