小さい頃、よく近くの駐車場で遊んでいた。
駐車場といっても、都心にあるコンクリートで固められたものではなく、そこは砂利でできていて、所々に小石が転がっていた。
春になると端に生えている山吹やキンモクセイの花が美しく咲いていた。蝶々を追いかけ、石の下のダンゴムシを見つけ、あちこち探索しては遊んでいた。
ところで、我が家は代々、土いじりを好む家系のようだ。
時々、その駐車場で遊んでいると、その傍で祖父が草むしりをしていた。
むしられた草と土のいい匂いがしたのをよく覚えている。
祖父は、作業着を着ていて、所々土で汚れていた。
そこには、ドクダミも生えており、祖母はそれを煎じて飲んでいた。
ドクダミのあの独特の匂い。ちょっと鼻を衝くきつい匂いが好きだった。
夏場は、蚊に刺されながらも、祖父は精を出していた。
また、祖父が他界してから、今度は父が植木に凝るようになった。
特にさつきに凝っており、家の周りはサツキに囲まれている。
庭があれば話は別だが、庭がないため敷地内にはサツキの鉢が所狭しと並べられている。
サツキのカタログを眺めては、休日になると近場で行きつけの園芸店に出向いて土や鉢を買ってきた。園芸店のおじさんとも仲良くなったようだった。
しかし、当時の私には、それらは他人事のように思えていた。
父の凝りようなどを見ていると、正直「よくやるなぁ」「好きだなぁ」と思っていた。
ところが、現在はというと…。
私は彼らの血を脈々と受け継いでいる。
休日の度に、ホームセンターの園芸コーナーまで出向いては、せっせと土やら鉢やらを買ってきて、種を植えたり、肥料をやったりしている。
植物を一から育ててみるのは、いいものだ。
例にもれず、実家を出て暮らしている我が家にも庭がない。
本当は土に直接植えて、植物を安定させたいけれど、ないものはしょうがない。
プランターや植木鉢に、それぞれの植物に必要な土やをブレンドし、肥料を入れて土台を作る。この時、私は畑を耕すイメージで土の匂いを存分に楽しむ。
種を植えて、水をやって、植物が虫に食べられていないか、病気になっていないかをチェックする。日に日に育っていく植物を見ていると、心の中が潤う。
季節に応じて、屋内に入れないといけないものや、オールシーズン外でそのまま勝手に育っていくものある。様々な種類の植物があり、植物によって肥料の種類を変えたりする必要があるため、面白い。
それらはまるで、人の個性のようだ。
それぞれに適した栽培方法があるのだ。
また、土いじり自体、自律神経に有効だとされる。それによって、メンタル的な安らぎを得られるという。
土の中で育ったものを食する我々には、土に対して、何か懐かしさのようなものがあるのかもしれない。
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